「あっ、猫!」
昼下がり、音楽科の校舎と普通科の校舎を繋ぐ渡り廊下で
は猫を見つけ、追いかけた。
例えるなら、好奇心旺盛なアリスが白ウサギを追いかけるような・・・・・・
その手には、楽譜がしっかりと握られていた。
第十三楽章
「待って!」
と手を伸ばして追いかけて。
猫が立ち止まったので捕まえようとしたら
「じゃないか」
声をかけられたので伸ばした手を止めて、声の方を振り向いた。
そこにいたのは、コンクール担当の音楽教師の金澤だった。
右手に煙草、足元には猫缶。
が追いかけた猫は、その猫缶に顔をつっ込んでガツガツ食べていた。
「金澤先生」
「どうした、こんなところで」
「あっ、猫を追いかけて・・・・・・金澤先生の猫なんですか?」
金澤の隣りにスカートのプリーツが乱れないよう抑えて腰掛けて。
視線の先の猫を見つめた。
「ん〜、俺んじゃないけど、まぁ、俺が面倒見てるって感じかな」
「そうなんですか・・・・・・」
猫はもう缶詰を食べ終えたようで、はその猫の首元を掻く様に撫でながら
「美味しかった?」などと話しかけている。
金澤はその光景を見て和やかな気持ちになり、煙草を一口吸って、紫煙を吐き
に悪いと思って、殻になった猫缶に煙草を押し付けた。
「で、伴奏者とか曲は決まったか?」
「はい。今さっき伴奏者の子と練習日を決めてきました」
「ほぉ。曲は?」
「エドワード・エルガーの愛の挨拶です」
左手で猫を撫でながら、視線は金澤へ。
「そうか。まぁ、頑張れよ。見えちまったもんはしょうがないんだから」
「えっ?」
金澤の言葉には衝撃的な疑問符を浮かべ、目をまんまるにした。
「金澤先生も、見えるんですか?」
少し期待して聞いたのに
「いや」
軽く否定され、ちょっとガクッとした。
「ただ知っているだけさな。そういうもんがいて、こういう事があるって。
日野は初め嫌がっていたみたいだけど、お前さんもそうだったんか?」
「・・・・・・いいえ。むしろ嬉しかったです。星奏学院のコンクールのことは小さい頃から聞いていたので、
普通科だけど何かしら関われたらいいな、って思ってました」
「そっか。良かったな」
目の前にいる少女がとても健気で純粋に思えて。
至極可愛らしく思えて。
金澤は目を細めて、の頭をぽんぽん、と撫でた。
その言葉と行動に向けられた微笑が
何故か泣きそうで
「どした」
不安になった。
変な事を言わなかったか、と。
「いえ、ありがとうございます」
しかしその不安は無駄だったようで
直ぐに悲しみは消え、そこにいる少女の微笑は柔らかなもので
ホッとした。
その時ちょうど、お昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いて。
「じゃあ私、そろそろ行きますね」
「おぉ」
「今度、猫缶持ってきます」
「そりゃ助かる」
「それじゃあ、また」
そしては笑顔で手を振って去っていった。
金澤も手を振って見送る。
見えなくなった頃、新しい煙草に火をつけて
大きく吸い込んで吐き出した。
「どうしたものかね・・・・・・」
離れない。
あの、泣き出しそうな微笑。
何があったのか。
考えられる可能性は
「コンクールに何かあるのか?」
そう呟いて、もう一度吸い込んで。
「そういやぁ、の母さんはコンクール参加者だったとか言ってたな、校長が。
確か専攻は・・・・・・」
自由気ままな猫は、また校内を旅しに出かけた。
今度はどんなアリスに追いかけられるのだろうか。
「ピアノ。・・・・・・、ピアノは弾けんのかな〜」
これを金澤が知っている事も
これを金澤が呟いていた事も
は知らない。
知ったら、きっと・・・・・・・・・
++++++++++++++++++
金澤先生と。
秘密が分かるのはもう少し先。