何で・・・・・・何であれがここにあるの? つまり 笙子ちゃんのお家の誰かが来てくれたってことでしょ? 目尻に溜まる涙は、悲しみではない。 切なさは少し交じるけど。 胸が熱くなる。 これは、嬉しさからだった。   第九楽章 廊下を駆け抜けて、バレエシューズに足を入れて、扉を開いてまた駆け出す。 地を踏みしめて、草を散らして。 前なんて、見てない。 前にある物や者なんて。 だから、ぶつかって気付いた。 前に人がいたことに。 「うわっ」 「きゃっ」 衝撃で倒れ込みそうになったところをどうにか踏ん張り、はその場にストンと腰をおろした。 その状態で、ぶつかってしまった人を見上げた。 「すいません!」 「いや、大丈夫だ」 「っ、月森先輩!」 ぶつかったのは月森だった。 練習をしているはずだった人が目の前にいる。 きっと休憩なのだろう。 「大丈夫か?」 「あっ、はい・・・・・・ッ」 ぶつかった弾みか、それとも初恋の彼(だとは思っている)がいきなり目の前に現れた事に対する驚きか。 今まで堪えていたものが切れて、その瞳からはらりはらりと涙が零れ出した。 は頬に手を当て、指先についた水滴の感触で初めて自分が泣いている事をしり 目を擦るように必死で涙を止めようとする。 月森は小さく息を吐き、の前に腰を下ろした。 「良く泣くな、君は」 「違っ・・・これは・・・・・・」 「涙ではない、とでも言うのか?」 「そうじゃなくて・・・・・・嬉しくて」 「何がだ」 「お母さんのことを知っている人が、私の知らないところにもいるんだって知ることが出来て・・・・・・」 泣くから離れる事は出来なくて。 月森は泣き止むのを待った。 そして頭の中で思い出す。 の母親のことを。 演奏は何度か聴きに行った。 発売されたCDは少ないが、それも全て家にある。 けれど、一番印象に残ったのは 葬式で配られたあの一枚。 死ぬ前に残した曲の数々。 彼女の愛した音楽達と、彼女が作曲したものが詰まっていた。 その中でも、胸を震わせたのは 2枚組みのCDの2枚目の一番最後に入っていた 『for you…』 という歌だった。 作詞も作曲も彼女のもの。 切ないメロディと、切なくも愛しさ溢れる歌声と。 そしてその歌詞全てが、胸を打った。 「・・・・・・君の母親の演奏は聴いた事がある。どれも繊細で優美で、素晴らしいと思った。 そして、歌声も綺麗だった」 「歌・・・・・・」 涙はやっと止まったらしい。 赤い目を月森に向けて、はそこに反応を示した。 「あぁ。確か題名は・・・」 「『for you…』ですか?」 「あぁ」 話は続くものだと思っていた。 しかしは小さく息を吸い込んで、音を奏で始めた。 人間が持っている音源、声で。 あの切なく美しいメロディを、綺麗な声で。 そしてその歌声は、他の彼らの元へも届いた。 「あっ、これ・・・・・・」 「このCDの一番最後に入っている歌だな」 「最後?」 「あぁ、これだよ。『for you…』ってやつ」 「切ないメロディですね」 「うん。そして、綺麗な声だ」 「この歌は・・・・・・あぁ、が歌っているのか」 「歌・・・・・・か。それにしても、綺麗な声だな。声楽にも向いている」 風に乗って、窓から。 歌声は彼らの胸へ、そして目の前の彼の胸へと染み渡る。 洗練された言葉でもないのに その歌詞は想いというものがたくさん詰まっているように聴こえて。 「貴方の紅に染まった頬と共に  私の胸に 刻み込んで  愛しています」 1番を歌い上げ、声はすーっと消えていった。 その瞳にはまた涙。 「すいません。この歌を歌うと、未だに泣いちゃうんです」 「そうか」 なぜいきなり歌いだしたのかは、敢えて問わない事にした。 理由があるのかもしれないし、もしかしたら理由なんてないのかもしれない。 でも、どっちでも良かった。 側で、彼女の声でこの歌が聴けた事が。 内心、嬉しかった。 だが、なぜそのような感情を抱くのかが、理解出来なかった。 「これ、お母さんが死ぬ間際に、お父さんに向けて作った歌なんです。 1番は、学生時代のことなんですよ」 そう言って微笑んだは涙を指で掬い取るようにして拭って。 空を見上げた。 真っ青な空が、広がる。 そこにいるのだろうか。 そして見て、聴いていたのだろうか。 前に、弾いたら弾いただけ、奏でたら奏でただけ届くと言われたことを思い出し 自然と胸が晴れていく。 その言葉を言われた時は、ぴんと来なかったのに。 何かが、動き出したのかもしれない。 錆びて止まった歯車? それとも 何かが、奏でられ始めたのかもしれない。 それは、音の合わぬピアノだろうか。   ++++++++++++++++++ 彼とは月森くんでした。 全然話さないから話させたくて。 あと、柚木さんとも二人で話させたいですね。 まだ7.8話は書く予定です。 もっと?
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