ねぇ、覚えてる?あの日のこと。
私は今でも、しっかりと胸に刻んでいるよ。
言葉と、笑顔と、ぬくもりを。
あの時の私は抜け殻で
お兄ちゃん達やお父さんの言う言葉の意味を頑なに理解しようとしていなくて。
悲しくて、ただ悲しくて。
みんな、悲しくないの?
どうして、もう涙を流さないの?
って、涙を見せぬ皆を不思議に思って。
一人、涙が枯れぬ自分だけ取り残されている気がして。
独りぼっちに感じて
まるで天照大神が岩戸に籠もってしまったように
一人、心の暗闇に閉じこもっていたの。
光も入らぬそこは
毎日毎日、私の生気を吸い取っていって。
生きているのかさえ、分からず。
呼吸の仕方を忘れそうになって。
泣く事しか出来なかった。
そんな私に
ねぇ、あお君。
あなたは、光を差し込んでくれたんだよ。
第十五章
水も食料も口にせず、学校に行く事も出来ず
ただひたすら泣いていた私は、ある日倒れた。
当然のことだったのだろう。
何も感じなかったけれど、精神的にも体力的にも限界だったらしい。
目を開くと、映ったのは白一色で。
腕から伸びる、細い管。
そしてあの、嫌なにおい。
嫌い。
思い出させるから。
お母さん。
入院したきり戻ってこられなくなって、
そのまま、私を置いていってしまったお母さん。
「どうして、いっちゃったの・・・・・・?」
腕で両目を押さえた。
涙が流れるから。
お母さんがいなくなったあの日から
かれこれ三日は経っているのに
この涙は止まらず、私の精神を貪り続ける。
夕方になると、お父さんとお兄ちゃん達
そしてあお君が私のところに来た。
心配そうな瞳を向けて、励ましの言葉を言って。
「ゆっくりで良いから、元気になろうな。そんなんじゃ、天国の母さんも悲しむぞ」
どうして?
死んでしまった人間は、もう何も感じられないのよ。
そして、ピアノも弾けないの。
「そうだ。そしてピアノを弾いてくれよ。母さんに届くように」
届かなくって良い。私のピアノなんて。
お母さんのが、聴きたい・・・・・・。
「少し、休もうな。ごめんな、辛い思いをさせただけじゃなく、食事とかまで気を使ってやれなくて」
お父さんに優しく髪を撫でられて。
私は小さく反応を示して、瞳を閉じた。
お父さんが悪いんじゃないよ。
私が勝手にご飯を食べなかったんだから。
こっちこそ、ごめんなさい。
部屋に運んできてくれたご飯、ずっと捨ててたの。
心配させたくなくて。
ごめんなさい。
浅い眠りについて、目を覚ますと朝日が眩しく照り付けていた。
私の心に、こんな光が差し込むことなんてこの先あるのかな?
お父さん達が来て、何か言われたけど、何て言われたかなんてはっきりと覚えてない。
涙を流して。
ご飯は喉を通らず、お水を一杯飲んだだけで。
また浅い眠りにつき、起きて、涙を流して。
私はベッドから起き上がった。
会えなくていい。
でも、少しでもお母さんに近付きたくて。
手を伸ばしても、雲さえ掴めないけれど。
それとも、追いかける?
大好きなお母さんの背中を。
階段を上って、ここで一番天に近いところに出た。
周りを金網で囲まれている、屋上。
足の部分がさび付いた、青いベンチがいくつかあるだけの、殺風景な場所。
それを少しでも改善しようという試みか、所々に鉢植えに植えられたお花が見られるけど
あまり効果を発揮していない。
太陽が少し、傾き始めていた。
部屋を出る時時計を見たら、もうすぐ三時になるところだった。
お父さん達は朝来て、また夕方に来ると言っていたから。
ねぇ、やるなら今だよ。
自分に言う。
まるで誘うように。
自分の中に存在するという、天使と悪魔も同じ事を言う。
この世界にはもう、お母さんはいないんだ。
分かってるよ、そんなこと。
でも、分かりたくないの。
会いたいの。
もっと聴きたかった・・・・・・もっと教わりたかった。
あの、とても優しいピアノの音色。
瞳を閉じれば、流れ出す。
涙が一雫頬を伝って
風が私の横を通り抜けていった。
一瞬だけ、ふわりと体が浮いた気がして。
私はゆっくりと目を開けた。
そして、金網に手をかけた。
飛ぶなら、今しかないよ。
誘う声がする。
それは誰の声?私?
そんなのどうでもいいや、もう・・・・・・そんなこと。
ピアノを弾くことが出来るこの手も、楽譜をなぞるこの瞳も、音楽を聴き取るこの耳も
いらないから。
お母さんはもう持ってないのに・・・・・・出来ないのに
どうして私は出来るの?
・・・・・・でもね、中にいるの。
ピアノを弾きたい、って強く願う私が。
ねぇ、どうすればこの想いを消す事が出来るの?
ねぇ、お母さん・・・・・・会いたいよ。
お母・・・・・・さん
大きく深呼吸をして、足を金網にかけようとした。
その時、
「良かったぁ〜、間に合って・・・・・・」
勢い良く扉が開かれる音がして、反射的に振り向くと、そこにはあお君の姿があった。
「あお、君・・・・・・」
見られた。
体が硬直する。
決心なんてしてないけれど、この先するはずだった行動は一時停止。
あお君は息を整えながら、ゆっくりと私に近付いてきて
伸ばしてきた腕を
「さぁ、戻ろう」
「やっ・・・・・・!」
私は振り払ってしまった。
あお君は振り払われた手を見つめ、そして私を見つめた。
何時もの優しくて穏やかな表情ではない。けれど険しくもない。
真っ直ぐな瞳。
「飛び降りるつもり?」
「なっ・・・・・・、あお君には、関係ない」
「そっか。じゃあ、良いよ、好きにして。飛びたければ飛べばいい。でも、分かってる?は鳥ではなく、人間なんだ。だから、空は飛べない。
どれだけ腕を羽ばたかせても、あのイカロスのように落ちていくのが運命(さだめ)なんだ。それでも良いなら、飛び立てばいいよ」
「えっ・・・・・・」
予想もしなかった言葉に、私は目を見開いた。
こういう時って、普通止めるものじゃないの?
「そしたらの後を追って、僕も飛びたつから」
「そんな、ダメ!」
「どうして?に否定する権利はないよ。権利を持つのは僕だけ。
心中みたいで美しいと思わない知ってる?有名な作家は、自らの手で命を落とした人が多いんだよ」
そんなことを微笑んで言うあお君が少し怖くて、私は一歩後ずさりした。
でも、後ろはもう金網で、結局下がる事は出来なくて。
微笑がまた、真剣な眼差しへと変わった。
「・・・・・・ねぇ、一つ聞いていい?それは、唯奈さんが望んでいたこと?」
「っ、それは・・・・・・」
息がつまる。
言葉が、心へと押し寄せる。
分かってる。でも、分かりたくなかった。
何度も何度も言われた言葉。
泣き続ける私を・・・俯いてばかりいる私を、どうにか立ち直らせたくて。
「母さんは、そんなこと望んでないよ」
でも、お母さんの口から聞いたわけではないから
私はその言葉を頑なに拒否し続けていた。
あお君は一歩、私に近付いて。
「残された方の気持ちだけじゃなくて、置いていく方の気持ちも考えてみて」
そう言われて、考えてみた。
もし、私がお母さんみたいに死を宣告されたら・・・・・・・・・
死への怖さよりも、一番辛いのは
大好きな、大切な人にもう会えなくなること。
私の瞳から、涙が溢れ出した。
「・・・・・・凄く、辛い。もう会えなくなるんだな、て思って・・・悲しい思いをさせてしまうんだな、って思って」
涙ごと抱きしめるように
あお君は私の腕を取って、自分へと引き寄せた。
「うん、そうだね。きっと唯奈さんもそうだったんじゃないかな?だから、まで同じ事をしてしまうなんて・・・・・・
しかも自分の後を追ってだなんて知ったら、もっと辛くさせてしまうよ」
「っ・・・・・・」
言葉が、声が、温もりが
全てが優しくて
私はまるで、赤ちゃんのように声を上げて泣いてしまった。
あお君は何も言わずに、
ただ私を抱きしめて、優しく頭を撫でて
泣き止むのを待ってくれた。
お母さん、ごめんなさい。
お父さん、お兄ちゃん・・・・・・ごめんなさい。
泣いて、泣いて。
もう泣かないなんて言えないけれど
きっとこの涙はまた流れてくるけれど
胸につっかえていた何かが、小さな音を立てて取れて、消えた気がした。
大雨は、小降りになって何時か止む。
私の涙もいつか、止む日が来るのだろうか。
涙がだいぶ収まってきたので、私はあお君の胸からゆっくりと顔を離した。
「僕は、の笑顔が好きだよ」
「うん」
「僕だけじゃない、みんなそうだよ。だから、今すぐにとは言わないけれど、笑って」
指先で私の涙を拭い取って。
私は見上げた。
優しく温かい人を。
視界いっぱいに広がる。
そこにあったのは、太陽みたいに優しい笑顔だった。
このことは、一瞬の気の迷いだった。
そう思ってる。
なんて馬鹿なことをしようとしたんだろうって。
これを知っているのは、私とあお君だけ。
お父さん達に言われてしまうかな?って不安だったけど
あお君は言わないでいてくれた。
焼きついた、笑顔。
暗闇に光が灯った瞬間。
光の世界への道標。
あの笑顔は本当に、私にとっての太陽だったんだよ。
* * *
「・・・・・・ちゃん。ちゃん?・・・・・・ちゃん!」
「えっ、あっ、はい!」
大きな声で名を呼ばれ、私は過去から今へと戻された。
反射的に顔を上げると、心配そうに私を覗き込む香穂子先輩の顔が映った。
笙子ちゃんも和樹先輩も土浦先輩も、香穂子先輩と似たような表情で私を見ている。
「どうしたの?呼んでも全然反応しないで」
「あっ、その・・・ちょっとトリップしてまして」
苦笑した私に向けられる、訝しむ表情。
眉間に皺が寄せられ、首を傾げられる。
香穂子先輩は小さく吐息して、優しい顔を私に向けた。
「それで、命の恩人っていうのはどういう意味なの?」
「それは・・・・・・」
しっかりとは言えない。本当のことなんて。
これは、私とあお君、二人だけの秘密の出来事だから。
「イカロスは飛べずに地に落ちたんだよ、って」
「は?」
「すいません。言えるのはこれだけです」
不満そうだったけれど、それについてはもう聞かないことにしてくれたらしく
香穂子先輩は「分かった」と頷いた。
「それで、結局その人はちゃんのなんなの?」
「えっ?」
あお君は
幼馴染で、家族じゃないけど家族みたいで、でもお兄ちゃん達とはちょっと違って
何でも話せる相談相手で、一番仲がいい男の子。
そして、命の恩人。
これらを一言で表せる言葉を見つけてみる。
・・・・・・・・・これで、良いかな?
この言葉がぴったり合うか分からないけど
この言葉に該当する人は、たくさんいる。
あお君も、その中の一人だから
「私の、大切な人の一人です」
笑顔で、胸を張って言えるよ。
・・・・・・あっ、あともう一つ。
「そして、我慢せずに涙を見せられる人です」
涙はまだこの瞳から流れて
あの日の記憶は何度も何度も甦るけれど
あの時とは違う。
私、ちゃんと笑えるよ。
ねぇ、あお君
あなたがくれた太陽みたいな笑顔にまた出会えれば
涙を流す回数は、もっと減るのかな?
・・・・・・何か、変わるかな。
いつか雨は止み、雲の陰から太陽が顔を覗かせる。
金色の光。
太陽みたいに、金色の音色が降り注げるようになる日は
くるのかな?
自分の気持ちに嘘をついている今が、変わることなんて。
もし、変わるとしたら
きっとそれは
まだ私の中にある闇を消す力を持つ
なにか
++++++++++++++++++
ということで、回想終了です。
オリジナル要素強で、シリアスですが・・・・・・。
いかがでしたでしょうか?
感想頂けると光栄です。
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